意外と知らない?日本の農業と農薬の歴史を調べてみた

2023-09-24

高山ガーデンのブルーベリーは、栽培期間中もその前も農薬や化学肥料は使用していません。
使っていないので、僕は正直そもそも農薬に関しての知識がほぼありません。
そもそも農薬って何なんだろう?いつできたのだろう?
そういった疑問が出てきました。そんなわけで、今回少し調べてみました。
せっかくなのでブログの記事として、まとめておこうと思って書いてみました。

日本の農業と農薬の歴史

縄文時代~安土桃山時代ごろまで

縄文時代にアワやヒエなどの穀物の栽培が始まり、その後、縄文時代の終わり~弥生時代にかけて大陸から水稲作が伝わったと言われています。

このころから、私たち人間と病害虫の戦いは始まったわけですが、当時は今のように病気や害虫を防いだり対処したりする方法をもっていませんでした。そのため、祈祷など祈ることしかできませんでした。
そのため、病害虫や気候によって被害が出て収穫量が激減すると、たびたび飢餓が起きていました。

江戸時代ごろ

1600年に出雲国の松田内記が難波甚右衛門に宛てた「家伝殺虫散」という書の中に、農薬に関する記述があるそうです。これが現存する日本最古の農薬に関する記述です。
これにはトリカブトなど5種類を混合した漢方(農薬)についてやウンカの生態ついて書かれているそうです。(ウンカはコメなどにつく害虫です。)

1970年には筑前国で蔵冨吉右衛門が鯨油を用いたウンカの駆除法を発見します。
その後も各地で様々な駆除法が生み出されますが、精度や効果がいまいちでした。また、そもそも農業生産の効率も悪く、たびたび飢餓が続いていました。そういったことから、祈祷もまだまだされていたそうです。

明治時代~第二次世界大戦前

江戸時代に始まった鯨油による害虫防除は、明治時代になるとマシン油へ変革します。マシン油は、現在でもマシン油乳剤等と呼ばれ、ハダニやカイガラムシなどの防除に利用されています。
その他に明治時代には海外から、石灰硫黄合剤、ボルドー液、銅剤、防虫菊(ピレトリン)などが日本に持ち込まれ普及しました。
この時代から、海外から様々な農薬技術が持ち込まれ、江戸時代に比べ生産性は大きく向上しました。
ちなみに、防虫菊はのちに仏壇線香の製造技術を生かして、あの「蚊取り線香」が発明されました。

戦後~1960年代ごろまで

第二次世界大戦の影響で、労働力や肥料の減少と農業生産も大きく落ち込みました。
アメリカによる食糧援助なされ、さらには小作農を開放する農地改革が始まりました。
当時は農薬も不足し質の悪いものが出回ったため、1948年には「農薬取締法」が制定されました。また、1950年には農家の安全性を確保するために「毒物劇薬取締法」が制定されました。
戦後は海外から、有機塩素系殺虫剤、有機リン系殺虫剤などが持ち込まれ導入されました。

1960年代には農業の機械化、農薬の使用による省力化により農業人口が減少します。
1969年には水稲作付面積が317万haのピークになり、コメ余りの時代になります。
このころになると農薬の9割は有機合成農薬になり、天然物や無機農薬の使用は1割まで減少します。
また、国内メーカーが力をつけ自社で新農薬を作ることに成功し始めます。

戦後は海外から様々な技術導入がされ、さらに国内で生産が本格化、独自製品の開発と国内の農薬製造が活発になっていきました。
しかし一方で、化学物質の環境への問題・懸念がされるようになるのもこの時代です。

昭和30年代に起きたメチル水銀を含む廃液が原因で起きた水俣病など、有機水銀の公害が問題となります。これにより水銀農薬の規制が強化され、1973年には農薬登録が失効します。
除草剤のPCPも魚介類への毒性が強く社会問題となりました。1971年には水質汚濁性農薬に指定され、大幅に使用を制限されることになりました。

1970年~1990年代まで

高度経済成長により、このころの日本は世界第2の経済大国になりました。農業もこの成長にともない、生産・出荷が大きく伸びました。1970年には830億円だった出荷額が1980年には3,200億、1990年には4,000億を超えます。
この成長の一方で4大公害など、環境問題が社会的な問題となります。農薬も他人事ではなく、動物や魚介類に対する毒性、作物や土壌への残留し、それを摂取することによる危険性など、さまざまなことが問題視されるようになった時代でもあります。

戦後からこれまでも、農薬の安全性については改善されてきました。農薬は、毒性の強いものから「特定毒物」、「毒物」、「劇物」、「普通物」と区別されています。なんと驚きですが、戦後初期は「特定毒物」、「毒物」が全体の5割を超える時期もあったそうです。その毒性の強さから、環境だけでなく農業従事者への危険性も伴い、農薬による事故も増えました。こういった背景もあり、徐々に毒性の高い農薬は排除されていき、事故数も減っていきます。
1971年には農薬取締法が大幅に改正されます。これにより、国民の健康を守り、生活環境を保全することなどが盛り込まれました。その結果、重大な危険性が考えられる農薬は登録を取り消されるようになります。
これ以降、毒性の低く高性能な農薬が開発され、これまでの毒性の高かった農薬が淘汰されていく時代へ突入します。

1990年代~現代まで

バブルの崩壊、リーマンショックなど景気は悪く失われた20年と呼ばれる時代になります。(もはや、失われた30年とも言われるようになりましたね…。)
輸入規制の緩和などにより国内農業は弱体化し、食料自給率は年々低下していきます。また、最近も特に話題にされていますが農業人口の減少と高齢化も進みます。ピーク時の1960年には1,454万人いた農業就業人口が2012年には251万人と1/5以下になり、平均年齢も65.9歳になりました。これに連動し、出荷額ピークだった1996年の4,455億円から減少し、2011年には3,552億円へと減少します。

一方で、食品への安全性への関心が高まり、2000年には「有機農産物の日本農林規格(JAS)」が定められ、2003年には食品安全基本法が制定され、これに合わせて食品衛生法も改正されます。
このような時代の流れの中、農薬の開発はさらにハードルが高くなる時代になります。海外では農薬を製造する企業は合併を繰り返し、探索段階から新薬開発までをしている企業は5社程度になったと言われています。
農薬を作る企業にとってハードな時代のように見えますが、2012年6月時点で日本で登録されている農薬のうち、約4割程度は日本企業が開発したものとなっています。
合併を繰り返し大企業になり、資本も莫大な海外企業に比べると規模の小さい日本企業ですが奮闘していますね。

調べてみての感想

農薬・農業の歴史を調べてみると、意外と化学の発達というのは、ごく最近の話なんだなと感じます。
まさか、江戸時代まで…というかほぼ明治までですね。明治時代まで祈祷…つまりは神頼みで祈っていたのかと思うと、昔は本当に環境に振り回されていたのだなと思います。
一方で、この150~200年程度の科学の発展は目覚ましいものです。

さて、農薬のお話に戻します。
農薬も初めのころは効果も薄いものでしたが時代や進化とともに効果も上がっていきます。
ただ、効果の上がる一方で環境や動物、人体への影響も問題になります。戦後の農薬は本当に危険なものだったんだなと感じます。実際に昔の農薬の話を聞いたこともありますが、それを考えると今では法制度も進み、以前とは比較にならないほど農薬は安全になりました。

今の日本や世界の農業は、農薬によってその生産量の安定が保たれています。
日本の江戸時代の人口はおよそ3000万人が頭打ちでした。めちゃくちゃ極端な話ですが、農薬を使わなければ、国内でその程度の人口を養う程度にしか農産物を作れないのかもしれません。
そう考えると、食料を安定的に生産する目的としては農薬は必要不可欠なものなのかなと感じます。

高山ガーデンのブルーベリー栽培の姿勢

僕は農薬を使わない栽培方法での良さや大変さを今体感しているところです。
正直、「農薬使ったら、この大変さがなくなるのかな?」なんて思うこともあります。虫にやられて廃棄する実を処理していると本当に思います。(特に今年は本当にそれが多かったので痛感しました。)
では、なぜ農薬を使わないのか?という話ですが、
それは「ブルーベリーを自然な環境で栽培したいから」という想いからです。自然のサイクル、自然の循環に近い環境で栽培することで、高山ガーデンでしかできないブルーベリーの味ができると思っています。
この辺の深い話はまた別の記事で。

今回の参考文献

  • 連載 日本の農薬産業技術史(1)―農薬のルーツと歴史,過去・現在・未来―、著:独立行政法人 国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 元主任調査員 大田 博樹
    URL:http://jppa.or.jp/archive/pdf/68_05_68.pdf
  • 連載 日本の農薬産業技術史(2)―農薬のルーツと歴史,過去・現在・未来―、著:独立行政法人 国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 元主任調査員 大田 博樹
    URL:https://www.jppn.ne.jp/jpp/s_mokuji/20140614.pdf
  • 連載 日本の農薬産業技術史(3)―農薬のルーツと歴史,過去・現在・未来―、著:独立行政法人 国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 元主任調査員 大田 博樹
    URL:http://jppa.or.jp/archive/pdf/68_08_60.pdf
  • 連載 日本の農薬産業技術史(4)―農薬のルーツと歴史,過去・現在・未来―、著:独立行政法人 国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 元主任調査員 大田 博樹
    URL:http://jppa.or.jp/archive/pdf/68_10_49.pdf
  • 連載 日本の農薬産業技術史(5)―農薬のルーツと歴史,過去・現在・未来―、著:独立行政法人 国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 元主任調査員 大田 博樹